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【特別企画】ヘヴンズドアーはいつでも②


だから、二酸化炭素消火設備の誤作動による二酸化炭素中毒で多くの人が亡くなっているというニュースを見た時に、自分はこれにしようと思った。

 

想像していたよりは早かったが、そのタイミングが自分に訪れていた。

 

無になる。どんな感じだろうか。きっと寝ているときの真っ黒な一瞬が、ずっと続くんだろうと思う。

 

自宅に運ばれてきた二つの縦長の段ボール箱を開けて中身を取り出した。

 

どちらも同じ。黄色いピンを抜き、右手と左手でレバーを握れば大量の二酸化炭素が一気に放出される。

 

この手で二本を浴槽まで持っていき、横にして置いた。



冷蔵庫からペットボトルに入れて冷やした水道水を取り出し、コップに注ぎ、一口飲んだ。もうコップも洗わなくていい。

 

やり残したことは無いか少し考えた結果、これまでお世話になった人にメモでも残そうかと思い、青しか出ない3色ボールペンとメモ用紙を手に取った。

 

『これまでお世話になりました…』ありきたりな文言を書いた瞬間、涙が込み上げてきた。

 

どうしようもなく惨めな自分にも、優しくしてくれる人たちの顔が脳裏に浮かんだ。

 

特に家族の事を思うと申し訳ない気持ちで胸が締め付けられた。

 

悔しくてたまらなかった。

 

けれど、どうしようもないと思った。『…有難う御座いました。』と書いた後、風呂場に移動した。



念の為、内側からガムテープで目張りをした。

 

そんな隙間から抜ける位では一時的に上昇する二酸化炭素濃度に対した影響はないと思ったが。

 

 

 生まれて初めて空の浴槽に浸かった。

 

いつもの浴槽内天井を見上げると、少し穏やかな気持ちになった。

 

二酸化炭素消火器が太ももに当たって冷たい。

 

「カチッ」という音を立てて、黄色い安全ピンを一つずつ抜いた。

 

間違って片方だけ噴射してしまわないように注意しながら。

 

準備はできた。



心の中で『せーの‥』と音頭を取り、大きく息を吸い込んで息を止めた。

 

その直後、両手のレバーをグッと握った。

 

「コーッ」と轟音が鳴り響き、二酸化炭素消火器本体が一気に冷たくなった。

 

二酸化炭素を噴射し続けて真っ白になった空間で、止めていた息を吐き、それから思いっきり吸い込んだ。

 

次の瞬間、強烈に頭が痛くなった。割れそうに痛い。

 

視界がグラグラ揺れた。ひどく酔っ払った時に見た事がある景色。

 

これで死ぬのか。そう思いながら気を失い、真っ黒な世界を迎えた。



一面に広がった闇。予想通りの「無」に期待外れな感じがした。

 

しかし、人の命って脆い。改めて思う。

 

自分で簡単に終わらせられるなんて、何て儚いのか。

 

あ。こうやって意識があるという事は、無に到達するまでに未だ時間があるという事なのかもしれない。

 

薄らぼんやりとした白い何かが見えてきた。あれは何だ?

 

目をこらすと、そこには妻の姿があった。

 

もう少しよく見ると、まだ幼い娘の姿もあった。