『キュッキュッキュッ‥』

体育館からシューズと床が擦れる音が漏れてくる。

 

忌々しい悪臭を放つ銀杏が道一帯に落ちてくるイチョウの並木とは異なり、桜の花弁は落ちても綺麗だなと思う。

花粉も同時に舞っていなければ、春という季節は何て最高なのだろうと毎年思う。

落ちてくる花弁が頭に乗っていないかをガラス戸で確認しつつ、中に入る。

 

此処、大阪市立高専の体育館は市内のなかでも広く綺麗な方である為、土日はスポーツの試合会場として使用されることが多い。

 

寮生活を共にする夏海と結子は、休日に試合を観戦することも多かった。

中でも、校内で熱心に活動していると評判のバスケットボール部の試合を応援することが多かった。同級生も数名在籍している。

 

「今日は天王館大と試合やって。府内の大学リーグでもベスト4に入る強豪らしいよ。」

情報通の夏海は、対戦相手についても調べていた。内通者と知り合いらしい。

 

「へえー。高専は大学2年の年齢に当たる選手までしかいないのに、そんなガチガチのチームと試合するんだね。ボロ負けかな?」

結子は自分の在籍する学校のチームが試合に勝っても負けても、特に自分へのダメージは無いような素振りだった。

 

「それより見てよ夏海。男子たちチラチラ観客席の方見てるって。」

結子は笑みを浮かべて言う。

 

「そりゃ、観客いた方がやってる側もモチベーション上がるんじゃない?」

夏海にとって試合観戦は男子を見に来ているわけではなく、試合を観て楽しむことが主眼であると言いたいようだった。

 

『ピーッ!!』

審判が試合開始まで残り1分半のホイッスルを鳴らす。

 

「集合!!」

大阪市立高専のメンバーがキャプテンの掛け声と共にベンチへ集まる。

 

数学の先生がバスケ部の顧問である。親子二代に渡って高専で数学を教えているという“高専の数学”の化身だ。

顧問より指導もあるが、もう一人作戦板を片手に熱心に選手へ話す者がいる。外部コーチの青木という男で高専バスケ部のOBらしい。

 

「相手は勢いのあるチームだ。個人技もさることながら速攻で決めてくる。数回パスを回しただけでスリーポイントを放ってくる。前半これが入って点差を離されることが無いように、ハーフコートマンツーマンでしっかりシュートチェックするように。」

青木を一直線に見て、頷く選手たち。観客席からでも、その信頼度が垣間見える。

 

青木が個別で背番号4番をつけるキャプテンの選手に声をかけた。

「あの21番、そうとうやるらしいからディフェンスしっかりな。」

 

「コーチ、大阪でバスケしてて藤原を知らないやついないっすよ。しかもオレ、同級生ですからしっかりやり合ってきます。」

背中を叩かれ送り出されたキャプテンの後を追いかけるように他の選手もコートに入り、整列した。

 

「白、黒、礼!」「お願いします!!」

審判の掛け声と共に両選手が位置につき、試合が始まった。

 

ジャンプボールは天王館大が制し、数回パスを回した後、21番藤原にボールが渡る。

鍛え上げられた肉体と高い身体能力を持つキャプテンがビタッとディフェンスをする。

 

ピボットをしてディフェンスとの間合い、周囲の状況を把握した藤原は左手でドリブルをつき一歩下がる。

同じくディフェンスも寄る。藤原が右利きな事を知っているので、左に行かせるようにディレクションして当たる。

 

次の瞬間、左へ素早いドライブに来る姿勢でアタックしたかと思いきや、右足でコートを蹴り、後ろに大きく下がった。

藤原の得意なステップバックというプレイだ。

キャプテンは左へドリブルで攻めてくると予想して動いていたため、後方へ下がった藤原についていくのが一歩遅れた。

 

キャプテンが手を伸ばしたその時には、藤原は既にスリーポイントラインからジャンプシュートを放っていた。

一直線に伸びた藤原の身体は、若干後方へ倒れており、フェードアウェイシュートという後ろにジャンプして下がりながら行うシュート気味であった。

 

『スパッ!』

 

藤原のシュートはリングに吸い込まれていった。

 

会場はどよめいた。コーチの青木は作戦板を片手に凍りついた様子だった。

 

勝手知ったようなキャプテンは苦笑いを浮かべて次のプレーへ切り替えた。

 

「なに‥、今の。」

夏海は呆然とした。

 

中学時代の三年間、プレイヤーとしての経験がある夏海には容易く理解できた。

試合開始直後のワンプレーで、勝敗が決まっていた。あの次元のプレイヤーは高専側には誰一人としていない。

世の中には、残酷なまでの差があり、きっちり勝敗を分けてくれている。そんな簡単な話を再確認した。

 

「今のシュートは3点!」

結子は楽しそうに言った。

 

前半が終了し、ハーフタイムへ突入した。

この時の点数が42ー20と既にダブルスコアをつけられていた。ダブルスコアで済んでいたと言っても過言ではない状態だったが‥。

 

「うわっ!」

結子が静かに大きくリアクションをした。

 

「何?」

夏海が聞く。

 

「めちゃくちゃ香水の臭いせえへん?」

結子は顔をしかめて言う。

 

「確かに‥どこやろ‥。」

夏海が辺りを見回すと、さっきまではいなかった派手なご婦人が5mほど先にいた。

 

手すりに肘をついてコートを見ながら色々ボヤいている。

「え!?試合終わり?なんやねん折角来たのに。あ、まだか。今は休憩か!」

 

「点数は‥、めっちゃ勝ってるやん!頑張れーー。」

声が大きい。どうやら相手チームの関係者らしかった。

 

夏海と結子は二人して、その派手な女性をガン見していた為、バッチリ目を合わせてしまった。

「ここの生徒??」

派手な女性に聞かれる。

 

「はいそうです!」

二人は少し焦りながら返す。

 

「21番うまいやろ?私の息子やねん!」「はい!」

唐突に切り出される情報に脊髄反射的に返した後、確かに上手であるという事実を追って確認する。

 

「応援したってや!ハハハ!」

高笑いを合図に会話が終わったかと思うと、すぐ様スマートフォンでコート内の選手の写真を撮り始めた。

 

「うわあ‥。」

夏海と結子が寮への帰路で提起する話題が決まったようだった。

 

試合は93ー57という点差で終了した。

相手チーム21番エースの藤原は後半に数分出た後、すぐに交代してしまった。

その後は、控えの選手を中心に試合が行われた為、藤原の母は一層悪態をついていた。

 

試合終了後、体育館から出た二人は偶々その前の渡り廊下を歩いていた自分たちの担当教授に挨拶をした。

「あ!先生、お疲れ様です!」

 

4・5年生で配属される卒業研究室である“卒研部屋”も夏海と結子は同じ酒井研究室であった。

「お疲れ様。実験は進んでる?」

生徒がされたら一番困る質問をわざと、笑みを浮かべながら切り出す。

 

「あ‥、今反応を進めてるんで、その待ち時間です!!」

分かりやすい嘘をいう結子に、夏海は同調した様子で作り笑いをする。

 

「冗談よ、ゆっくり休日楽しんで頂戴ね。」

酒井先生の言葉は、心の奥深くにスッとしみ込む。

 

「先生こそ、休日楽しんでるのかなあ‥。」

結子は言った。

 

「先生は実験が趣味だから大丈夫‥!」

夏海は自分をも諭すようにそう呟いた。

 

その時、夏海の方が後ろからポンと叩かれた。

 

「今の女の人、もしかしてアンタ達の先生?」

肩に置かれた手の主は、さっきの派手でうるさかった藤原の母だった。

 

「そうです‥けど。」

夏海は困惑していると態度で表現しながら伝えた。

 

「ハハハ!あ、そう。名前は何ていうの?」

下品な高笑いしたあと、嬉しそうに追加で質問をした。

 

「酒井 恵美 先生です‥。」

夏海は続けて答える。

 

「へえ‥、ありがとう。ハハハ!」

そう言いながら、藤原の母はカバンから車のリモコンキーを取り出して押した。

近くの駐車場でない場所に停められていた派手な赤色のスポーツカーが『ピッピッ』と反応して解錠した。

 

「それじゃあまた。」

助手席側の窓をわざわざ開けて夏海と結子に声をかけた後、大きな排気音を構内に轟かせてスポーツカーは去っていった。

 

「なんじゃありゃ‥。」

夏海と結子の後ろから声を発したのは、試合を終えたバスケ部のキャプテンだった。

 

「あ!お疲れ様です!残念でしたね‥。」

結子は言った。お前は残念がってないだろうと夏海は内心つっこんでいた。

 

「残念もクソもねえよ。試合になってなかったからな。」

キャプテンは首にかけたタオルで口元を拭きながら言った。

 

「21番、上手かったですね‥。」

夏海が言った。

 

「藤原な。さっきの派手なババアの息子。アイツは別格や。」

キャプテンが遠くを見て言った。

夏海と結子は、キャプテンが藤原の母のことを知っていた事に対して少し驚いた表情になった。

 

キャプテンが続け様に言った。

「ただな、藤原の家庭が複雑らしくて、アイツ高校時代に一回バスケ辞めてんねん。やで今日久しぶりに会ったんやけど、まあまんまとやられてしもたわ。どっかで練習してたんか知らんけど、衰えるどころか差がますます開いてたわ。バスケ辞めたなる瞬間ってやつやな。」

 

「へえー。」と夏海と結子は何の意味もないリアクションを返した。

 

「また来てな!」キャプテンに送り出され、その場を後にした。

 

「キャプテンはどういう気持ちでバスケ続けてんだろうね。」

結子は夏海に問いかけた。

 

「うーん、とりあえず楽しいんじゃないかな。」

夏海は当事者にしか分からないであろう問いに対して、適当な意見を述べておいた。

 

「でも何にも続けてないウチらよりはいっか。」

結子は何気なく言った。夏海は黙ったままスマホを見ながら歩いた。

 

とりあえず、何がどうであれ、生き続けるのが大事だと、この時の夏海は思っていた。

 


試合があった翌週の平日の昼休み、売店でお菓子を買った夏海と結子は卒検部屋へ向かっていた。

 

その道中、来賓用の駐車場に赤いスポーツカーが停まっているのが見えた。

 

二人は顔を見合わせた。

 

「あ!」

間違いない、以前見た藤原の母の車だ。

 

「何で‥?」

二人は当然、共通の疑問を浮かべながら歩く。

 

酒井研究室についたが、部屋には誰もいない。

 

昼休みに先生が席を外している事自体は特段珍しい事ではなかったが、夏海は少し引っかかるものを感じた。

 

「先生探そっか。」

夏海は結子にいうと、結子は軽く頷いた。

 

部屋を出たその時、甲高い笑い声が廊下に響き渡った。

「シッ!」夏海は同じく部屋を出ようとした結子を制した。

 

少しずつドアを開け、顔の右半分だけを出して声のした方向を見ると、技術実習室の隣にある準備室から、何と藤原の母が出てきた。

 

「えっ!?」

何をしているんだと聞きたかったが、少し離れた所からでもその形相が不気味で、夏海は近付く気になれなかった。

 

「どうしたん?」

結子は聞く。

 

『カッ カッ カッ‥』

夏海の部屋とは反対方向に藤原の母が歩いていく。

 

「行ったか‥。」と夏海が胸を撫で下ろしたその時、準備室から出てきたのは、酒井先生であった。

 


「配達でーす!酒井先生宛ですがサインお願いできますか?」

 

酒井研究室には、定期的に消耗品である埃の立たない紙製のウエスや有機溶媒が届く。

こんなに必要なのか?と疑問に思い同じ、夏海は以前、研究室に所属する専攻科の先輩に理由を聞いた事があった。

「予算使わないと、来年度に減らされるんだよ。だから、めちゃくちゃ高いもんは買えないけどお金が余らないように消耗品とかを買い込むってわけ。」

流石は高専に在籍して7年目といった所か、勝手知った口調で研究室のメンバーに伝えていた。

ちなみに、専攻科というのは高専卒業後にもう2年間高専に残って研究を続ける場所で、大卒と同等の学士の学位が得られる。

同じ場所に7年間も居ると井の中の蛙になるから良くないという意見もあれば、旧帝国大クラスの大学院に比較的簡単に進学出来る為、オススメだという意見もある。

 

「んじゃいつもの場所置いときまーす!」

配達のおじさんはいつも陽気だ。陽気でないとやってられないのかなと邪推させるくらいに。

 

以前、校内で原付が学生の原付が盗まれるという事件があったのだが、その犯人確保に際する重要な情報を提供したのが、あの配達のおじさんだという噂が流れた事があった。何でも、色々な配達先で犯行現場を目撃していたんだとか。犯人グループは盗んだバイク類をバラして海外に売っていたらしい。

 

酒井先生は超がつく細かい性格の持ち主で、できるだけ性格な数字であることを求める。

以前、実験で試料の量が数マイクロリットル異なっただけでやり直しを要求されたことがあった。

夏海は後で辻褄を合わせられるミスだと思っていたが、その取り組む姿勢から間違っているとの指導を受けた。

結果を出す人間というのは、異常なまでのこだわりを持つものなのだと思った。

特に、酒井先生は苦労人だという事も聞いた事があり、余計にシビアなのだろうと察した。

 

昼下がりの午後、時計の針がL字を描こうとしていたので、夏海と結子は“お茶”の用意を始めた。

他のメンバーも小休止といった雰囲気となり、酒井先生も立ち上がり、先ほど届いた荷物の検品に向かった。

 

『(バイブレーションの音)』

結子のスマホがテーブルの上で振動した。それに気づいた結子は慌てた様子で研究室から出ていった。

 

「なんだあれ。」

研究室のメンバーが言い放った。夏海もそう思った。

 

数分後、何事もなかったように帰ってきた結子と、検品作業を終えた酒井先生が研究室に戻ってきたので本格的な休憩時間という雑多なディスカッションの場になった。

各自、研究の報告や進路について、ひいては恋愛関係の話などに発展する事もある。酒井先生はクールビューティーと呼ばれているが、お茶をしながら話して初めてその人間味に触れられると夏海は思っていた。高専にはより長く、深く関われる時間的な環境も用意されているので、クラスメイトはもちろん、教師陣との仲も気づきやすい。合わなければ苦痛だろうが。

 


 20分経過した頃ぐらいには、各自徐々に持ち場に戻り始めた。

 

そして、時計の針が16時を指そうとしていた頃のこと‥。

 

『ジリリリリリリリ・・・!!!』

 

ビクッとして全員が顔を見合わせた。

 

「火災報知器、鳴ってるね。」

結子が言った。

 

「ちょっと見に行こうか。」

夏海は言った。

 

廊下に出た瞬間、若干の空気の暑さを感じた。

そして三つ隣の技術実習室が視界に入った時には、その天井が真っ赤な炎で覆われているのが見え、夏海と結子の顔から血の気が引いた。

 

「火事だ!火事だ!」

そう叫びながら走り、研究室のメンバーもそれが聞き、閉まっている防火戸を手で押しのけて階段を降りた。

 

結子が119番通報していた。同じく複数名から通報があったようだった。

消防車が間も無く到着し、各研究室のメンバーの点呼が取られた。

幸いにも逃げ遅れた者はいないようで、消火活動が始まった。

外部からの放水に加えて、数名の消防隊員が建物内に入り、屋内消火栓を用いた消火活動を行った。

技術実習室いっぱいに広がっていた炎は、ものの10分程度で鎮火された。

そこから、一人の焼死体が見つかった。